戦後最大のミステリアスな事件と言えば、やはり今から46年前に起きた3億円事件ですね。様々な作家が、この事件を題材に物語を作ったり、ノンフィクション作家なども、膨大な取材から、この事件の謎に少しでも近づこうとしています。
さらに、テレビドラマなどで映像化されたりしているのも印象的ですね。
つい最近も、3億円事件を題材にした『クロコーチ』というドラマが放映されていましたが、非常に興味を惹かれる内容でした。
奪われた現金は、当時で約3億円(正確な金額は2億9430万7500円)ですが、現在の貨幣価値に換算すると、約20億円~30億円にもなると言われています。大卒の初任給が3万円だったので、当時の国民からすれば、3億円というのは途轍もない金額だということが想像できるかと思います。
現在で分かりやすく例えるならば、totoBIG1等当選金である6億円の、さらに3倍~5倍という金額ですね。
このお金を奪った犯人は今どうしているのだろうか、と思っている方も少なくないと思います。ですが、この事件、実に様々な謎を残したまま、都市伝説と化しているのは、皆さんも知っての通りです。
この記事では、事件発生から警察の捜査に至るまでの流れ、そして、3億円事件の主要説である3つの仮説から、この事件の真実に踏み込んでみたいと思います。
■ 目次
1:3億円事件の流れ
- 4-1:平塚八兵衛が大胆な推理を主張
- 4-2:3億円事件が実行されるまでの流れ
- 6-1:約8ヶ月弱も前から周到な計画を企てていた
- 6-2:様々な謎が重なった不可解な事件
7:まとめ
3億円事件の流れ
1968年12月10日午前9時15分、東京芝浦電気(現:東芝)従業員のボーナス(約3億円)を積み込んだ日本信託銀行の行員4人を乗せた現金輸送車(黒いセドリック)が国分寺支店を出発し、東芝府中工場へ向かう道中で事件が発生。
午前9時20分頃、府中刑務所の外堀沿いを走行していると、後方から白バイに乗った警察官が現金輸送車の前方に回りこみながら、停車を促して白バイから下車。
そのまま運転席の窓に走り寄って、「この車に爆弾が仕掛けられている。車を調べるので全員降りて下さい」と警察官が告げた。
運転席に座っていた行員は「昨日、車内を調べたときには何もありませんでしたが」と返答。
白バイ警官は「では、車の外を調べてみます」と言い、タイヤ周りを調べ、フロントの辺りを調べだした。
現金輸送車に乗っていた4人は不安になり車外に飛び出してきた。
警察官が車体の下に潜り込んだとき、「爆弾があった! 危ない、爆発するぞ! 下がれ!」と4人に向かって叫んだ。その声と同時に、車体の下部から白い煙が立ち昇りはじめる。
行員4人が慌てて車から離れると、警察官は運転席に乗り込み、そのまま走り去る。
ここまでの経過時間は、わずかに3分ほど。
現金を奪った犯人は、現場の近くで別の車に現金の入ったジュラルミンケースを乗せ替え逃走。
これ以降、現金を奪った犯人の行方が分からないまま、事件発生から7年後の1975年12月10日午前零時、時効が成立した。
このような感じで、3億円事件は完全犯罪という形で幕を閉じました。
しかし、この事件が今もなお語り継がれている理由は、単に『華麗で完璧な犯罪だから』ということだけではありません。
半世紀近く経った今でも、人々が興味を絶やさないその理由は、事件に絡む様々な謎が、さらに輪をかけた謎となり、出口の見えないミステリーと化しているからと言えます。
ではここで、この事件が迷宮入りした最大の原因と言える、警察の捜査の流れについて振り返ってみたいと思います。
ずさんな捜査で事件が複雑化
この事件が未解決に終わっている原因として、警察のずさんな捜査が挙げられます。
まず、事件が発生してから14分後、緊急配備が発令されたまでは良かったのですが、各捜査員に流された情報は、とにかく不手際だらけと言えるものでした。
捜査員に流された主な情報は以下の3つです。
- 奪われた現金は9000万円
- 被害車両は黒のセドリック
- 犯人は白ヘルメットを着用
この3つの情報、皆さんはどう思いますか?
素人目に見ても、これってまるで小学生の探偵ごっこじゃないか! と言う声が聞こえてくるような気がします。
犯人を逮捕できるかどうかは、初動捜査で9割以上が決まる。
初動捜査が、どんな方向に向かうかによって、その後の捜査の流れが大きく変わってしまうと言われています。
この事件では、捜査の基本段階から大きく脇道に逸れてしまっているような感じが否めません。
捜査の流れを少し整理してみましょう。
まず、奪われた金額は3億円にも関わらず、9千万円などという、まるで見当はずれな金額となっていて、さらに、犯人の人相は全く伝えられていません。
その上、肝心の車のナンバーも伝えられておらず、犯人が車を乗り換えたことまでもが伝わっていない。
そのため検問では、黒のセドリックだけを止めて、トランクを調べることもなく検問を通過させていたというお粗末さ。
こんな検問を30分も続けていたんですから、「犯人さん、どうぞ安全なところに逃げて下さい」と言っているような、お世辞にもプロの仕事とは言えない捜査です。
まるで、警察は犯人逮捕を拒んでいる、と思われても仕方ないような、本当に不可思議な捜査と言わざるを得ません。
さらに、この事件の犯人とされていたモンタージュ写真ですが、この写真によって、捜査が明後日の方向に向かってしまったと言えます。
モンタージュ写真の真実とは?(真実①)
この事件の代名詞とも言えるモンタージュ写真の男。
事件発生から11日目。3億円事件の犯人として、この有名なモンタージュ写真が公開されました。
現金輸送車に乗っていた、日本信託銀行の行員4人の証言によって作成されたのが、この有名な現金強奪犯人の顔写真です。
そもそも、モンタージュ写真というのは、目撃者の証言に基づいて、頭部から首の辺りまでを、いくつかのパーツに分けて顔を組み立てていき、犯人の顔写真を作り上げる技術のことを言います。
全国に貼り出されたこの写真によって、3億円事件の犯人はこの写真の男、という固定観念が、全ての人の記憶に植え付けられることとなりました。
マスコミでも大々的にこの写真を報道したので、一般市民へのインパクトは強烈だったかと思います。
さらに、一般人だけではなく、この事件を捜査している現場の警察官たちも、この写真の男が犯人だと、当たり前のように認識して捜査していました。
犯人と直接関わった信託銀行の行員が証言して作成したモンタージュです。
誰もが、何の疑いもなく、この写真の男が3億円事件の犯人だと思っているのも当然のことだと言えます。
ですが、モンタージュの男を追うことが、この事件を迷宮入りさせる一因となったんです。
すでに死亡している人物をモンタージュ写真として公開
モンタージュ写真というのは、前述しているように、目撃者の証言を元に、顔写真を作成する技術なのですが、この写真、実はモンタージュ写真ではなく実在する人物の顔写真だったんです。
しかも生きている人間ならともかく、事件の約1年8ヶ月前に亡くなっている人の写真を、修整することなくモンタージュ写真として公開。
それも、遺族の許可を得ることなく公開するという、正義を守る警察のすることとは思えない所業と言えますね。
現場の捜査員は、すでにこの世に存在していない人間を、それこそ靴底をすり減らして探し回っていたというオチですね。
三流のコントのネタにもならないような、なんとも間抜けな話です。
偽物モンタージュと分かるまで12年もの歳月が
そもそもどんな経緯で、このような偽物の顔写真が、犯人の顔として公開されることになったのか?
原因として、現金輸送車に乗っていた信託銀行の行員は、誰一人として犯人の顔を覚えていなかったことにあります。
では何故、モンタージュ写真が作成されたのか?
モンタージュ写真作成に関わった人物が、以下のような事実を語っています。
帽子やマスクをかけたりしている場合、モンタージュ写真を作成するのは無理だと言った。
しかし捜査員が「すぐに必要だ!」と催促してきた。
そこで、現金輸送車に乗っていた信託銀行の行員に、写真をいくつか見せたところ、「たぶん、こんな感じだった気がする」と言ったのが、あの写真だった。
本来ならば、修正をかけるのだが、捜査員の催促が続くため、そのままその人物の写真を使用してしまった。
『「顔」の疑惑』より抜粋
しかも、このモンタージュ写真が偽物だという事実が暴かれるまで、12年もの歳月が経っていました。
事件発生から12年後の1980年、文芸春秋の8月号で、スクープとして大々的に掲載されることで、この事実が明らかになりました。
結局のところ、戦後最大のミステリアスな事件である『3億円事件』の犯人の顔は、誰一人、知る者がいないということだけが、揺るがない事実と言えます。
しかし、本当のところはどうなのか?
何か、別なところに、この事件の真実が隠されているような気がしてなりません。。。
単独犯 or 複数犯?
誰も傷つけず、そして日本国内での損が無かったこ、文字通りの完全犯罪となった3億円事件は、単独犯だったのか、それとも複数犯だったのか?
なにしろ、事件発生から8分後には、犯人の足取りがプッツリと途絶えているという、本当に謎に満ちた事件だったと言えます。
平塚八兵衛が大胆な推理を主張
この事件を単独犯だと主張していたのが、昭和の名刑事と謳われた『故 平塚八兵衛』です。
通常の考えで言えば、これだけの大掛かりな犯行を、単独で行うというのは、有り得ないと思えます。
ですが、平塚八兵衛は事件を最初から捜査していくことで、単独での犯行と推理しました。
では、平塚八兵衛はなぜ単独犯という大胆な結論に至ったのか?
単独犯説の根拠を述べる前に、まずはこの事件の全貌を、簡単に整理してみましょう。
3億円事件が実行されるまでの流れ
最初の脅迫は、1968年4月25日、犯行の8ヶ月前に150万円を要求する内容の電話。
その後、2回目は脅迫状による300万円の要求。
3回目では、「人を殺してでも爆破を実行する」という内容の脅迫状。
4回目の脅迫では、「捕まれば死刑だから400万円出せ」という内容の脅迫文書。
そして5回目の脅迫状では「どうしても金が必要だ。300万円でいいから出せ」という内容。
この連続脅迫事件は、3億年事件が発生する5ヶ月前にピタリと終わる。
この一連の脅迫は、警察と金融機関の動きを探るために行ったと推測されています。
そして、3億円を盗むために、犯人は、さらなる準備を進めます。
まず、犯行10日前の11月30日、1台のカローラを盗み、さらに5日前の12月5日に、もう1台のカローラを盗んでいます。
その後、あらかじめ盗んでいた青いバイクを、白に塗り替えて、白バイとして偽装。
白バイに偽装するための部品などは、盗難品や大量生産されているものを利用することで、部品等から足が付くことを回避。
そして、犯行前日に犯人は、犯行現場の近くにある晴見町団地の駐車場に、盗んだ2台のカローラを配置。
これで、犯行準備は完了。
いよいよ、犯行当日の12月10日午前6時。
準備していた偽装白バイを、国分寺街道の脇にある空き地に止めて、シートをかぶせ、カローラを停めている晴見町団地の駐車場へ徒歩で向かう。
そして、1台のカローラを国分寺史跡まで移動させ、また徒歩で晴見町団地の駐車場まで向かい、もう1台のカローラも1台目と同じ国分寺史跡まで移動。
1台のカローラは白バイへ乗り換えるためのもの。
もう1台のカローラは奪った現金輸送車から乗り換えて逃走するためのもの。
逃走用のカローラのエンジンをかけたままその場に残して、もう1台のカローラで白バイを停めてある空き地まで行き、白バイのエンジンもかけてシートをかぶせておく。
ここまでで、犯行の下準備が完了。
カローラで日本信託銀行 国分寺支店へ向かい、午前9時頃に到着。
黒のレインコートを着た犯人は、現金3億円を現金輸送車である黒のセドリックに積み込んでいることを確認。
午前9時15分、東芝府中工場に向けて、現金輸送車が出発。
犯人が乗るカローラは、現金輸送車の前方を走行して、2つある輸送ルートのうち、府中刑務所横を通るルートであることをバックミラーで確認。
カローラは、偽装白バイを停めている空き地に入る脇道へ。
カローラを乗り捨て、白バイへ乗り換えた犯人は、セドリックが府中刑務所横の道に入ったことを確認。
サイレンを鳴らしながら、現金輸送車を停止させる。
この3分後、多くの謎を残したまま未解決となった3億円事件が実行された。
以上が、戦後最大のミステリーと呼ばれている3億円事件一連の流れとなります。
実行犯はすでに分かっていた!?(真実②)
謎に包まれた事件ですが、警察はいち早く、少年Aを3億円事件の実行犯として絞っていました。
その少年Aとは、不良グループに属している、現役白バイ警官の息子。
少年Aは、頭が良くバイクの運転技術も優れており、仲間内から一目置かれているような存在で、大金を奪う計画をほのめかしていたと言われています。
さらに、事件翌日には「スナックをやりたい。金はある」と、仲間に言っていたようです。
ですが、この少年Aをシロと断定したのが、平塚八兵衛です。
実はこの少年、2通目の脅迫状が届いた当時は鑑別所に収容されていた、というこれ以上ないアリバイがありました。
3億円事件を単独犯として見立てていた平塚八兵衛は、当然、少年Aをシロと判断しています。
なぜ、平塚八兵衛は単独での犯行という結論に至ったのか?
まず、犯行の準備段階から実行に至るまでの流れを考えると、単独で行うことは大いに可能である、ということ。
そして、盗んだ金額が途方も無い大金であったということ。
これだけの金額が手に入った場合、複数であれば分配の際に仲間割れが生じる可能性が極めて高く、揉めることで情報が必ず漏れてくる。
しかし、これだけの大掛かりな犯行にも関わらず、確実な情報が何一つ挙がってこなかった。
これらが、単独犯行説となっている要因です。
しかし、この犯行が実行されるまでに8ヶ月もかけて準備していたこと、さらに言えば計画を練る期間も含めると、約1年以上も費やしている計算になります。
たった1人でここまで念入りな計画を企て、正確に実行できるものなのでしょうか?
やはり、単独犯行説というのは、かなり無理のある推理と言わざるを得ません。
単独での犯行となれば、容疑者として挙がっている少年Aは無実ということになります。
しかし実際には、3億円事件の犯人として疑われた人が合計11万人もいて、その中にはタレントの高田純二さんや、歌手の布施明さんも容疑者として調べられています。
このような状況からも、世間だけではなく、警察内部でも様々な情報が錯綜していたのではないか、と察することができます。
犯行から8分後には犯人の足取りが消え、捜査の不手際さ、モンタージュ写真の捏造疑惑など、この事件は素人目に見ても、不可解なことが多すぎます。
単独犯か複数犯か?
3億円事件は、そんな単純な言葉では片付かない、もっと奥深いところに真実が隠れているのかもしれませんね。。。
実は公安の自作自演だった?(真実③)
この事件を語る上で、はずせない仮説というのが、『3億円事件は公安が仕掛けた』という仮説です。
冒頭でも少し触れた『クロコーチ』というドラマでも、この説に基づいて物語が進行していたことは、記憶に新しいと思います。
事件発生当時の1968年、今の日本ではまず起こらないであろう、学生運動の最盛期でした。
日本の社会体制を変えるために起こした革命とも言われています。
新宿駅を中心として、全学連と警官隊が市街戦を展開したり、学内で授業をボイコットしたり、といった過激な運動へと発展。
さらに、教室内にバリケードを築いて学校を封鎖したりすることから始まった学生運動は、東大の安田講堂に立て篭もった、俗に言う『東大安田講堂占拠事件』にまで発展していきました。
こういった国家の体制を脅かす『思想犯』を取り締まるのが公安の役目です。
公安としては、この終わりの見えない学生運動を、なんとかして終局させようとしていたことは事実です。
3億円事件の犯行現場となった三多摩地区には、多くの大学が存在していました。
公安は、学生運動のアジトを合法的に見つけ出すために、3億円事件そのものを計画して実行したと言われています。
『現金を強奪した疑いという名目で学生たちを軒並み引っ張るために、公安が起こした自作自演の事件』、というのがこの仮説です。
この仮説、なんだか飛躍し過ぎなところもありますが、一概に否定することができないんです。
その否定できない理由というのが、実はこの犯行、とても素人が犯した犯行とは思えないほど、用意周到に成されたことにあります。
約8ヶ月弱も前から周到な計画を企てていた
まず、事件発生の230日前、農協に対して計5回、約3ヶ月に渡っての爆破予告。
そして、犯行10日前に1台のカローラ、5日前にもう1台のカローラを盗む。
犯行の数日前には、盗んだバイクを白バイに偽装することも完了しています。
犯行の前日、犯行現場近くにある団地の駐車場に2台のカローラを駐車。
犯行当日の午前6時、偽装白バイを国分寺街道の脇にある空き地に、シートをかぶせて停める。
前日に駐車しておいたカローラ2台を、国分寺史跡に移動し、1台はエンジンをかけたまま停めておき、もう1台のカローラでバイクを置いている空き地へ移動。
バイクのエンジンをかけ、そのままカローラで日本信託銀行まで移動。
午前9時15分、現金輸送車(黒のセドリック)が東芝府中工場へ向けて出発。
犯人は、輸送ルートをバックミラーで確認しながら、セドリックの前方を走行。
バイクの止めてある空き地へ向かう脇道へ入り、エンジンをかけて停めてある偽装白バイに乗り換える。
そして、戦後最大の謎を残して迷宮入りとなった、3億円事件が実行されました。
以上が、この事件が発生するまでの流れとなります。
様々な謎が重なった不可解な事件
盗まれた現金輸送車ですが、実は、目撃した人が数名いるにも関わらず、途中から足取りが全くつかめなくなっているんです。
さらに、現金輸送車から乗り換えたカローラは、事件発生から4ヵ月も後に、空のジュラルミンケースと共に発見されています。
しかも、発見したのは自動車販売会社の営業マンで、場所は犯行現場から目と鼻の先にある晴見町団地の駐車場。
警察が、普通に捜査すれば、これだけ時間がかかるなんてことは、到底考えにくいことと思います。
この辺りに、事件の解決を妨害している、何か意図的なものが見え隠れしている感じが否めません。
さらに、もう一つの理由として挙がるのが、前述したモンタージュ写真の件です。
先にも述べたように、この写真の男は、事件発生の1年8ヶ月前に、すでに亡くなっていたということが明らかになっています(もちろん、警察は認めていませんが)。
全ての人の目を、この写真の男に向けるようミスリードをしながら、学生運動の沈静化を図る、といったシナリオが描かれていたのかもしれません。
そして、さらにもう一つの理由として、奪われた現金の情報を公開したこと。
その情報は、五百円札二千枚、百万円分の紙片番号(XF227001A~XF229000A)。
なぜ、このような情報を公開したのか?
普通に考えれば、警察と金融機関は知っておくべき情報と言えますが、一般に公開するようなことではありません。
このような情報を公開してしまうと、犯人に対して、これ以外のお金は自由に使うことができる、と教えているようなものです。
ここにも、事件解決を阻止しようとしている意図が、見え隠れしている気がしてなりません。
これらのことから、3億円事件は学生運動の沈静化を図るための公安による自作自演の事件、という仮説が生まれたと思われます。
ただ、公安の陰謀という仮説は非常に面白いと思うのですが、現実的に考えて、やはりかなり無理があるのでは? という感じがします。
公安が起こした自作自演の事件というよりは、『学生運動のアジトを見つけるためのローラー作戦を実行するために、公安が3億円事件を利用した』、と考える方が話が繋がる気がしますね。
いずれにしても、警察の上層部、若しくは国家レベルによる関与があったのではないか、という考えは間違いではないのかもしれません。
まとめ
ここまで、3億円事件の様々な謎に踏み込んでみました。
- モンタージュ写真の謎
- 単独犯 or 複数犯
- 公安の自作自演
これ以外にも、3億円事件には数々の仮説がありますが、いずれも決定打に欠けることは否めません。
3億円事件は、戦後最大のミステリー・誰も傷つけていない華麗な犯行、と言われています。
確かに、盗まれた3億円に関しては、保険がかけられ、さらに日本の保険会社も海外の保険に入っていたので、日本国内で損害を受けた人や組織は皆無です。
しかし、事件の陰には、容疑者として警察に調べられた人は約11万人。
そして、容疑をかけられて、それを苦にして自殺してしまった人がいるのも事実です。
現在では、刑事ではもちろん、民事でも時効が成立していて、法律上では3億円事件の犯人が責を負うことはありません。
しかし、もし、公安陰謀説などの国家的な力が働いているのだとしたら。。。
大きな憤りを感じずにはいられない方も少なくないのではないでしょうか?
一説には、奪われた3億円は、浅間山荘事件やロッキード事件などにも使われたという仮説があります。
さらには、M資金の一部になっているということも言われています。
金額が大きいだけに、そこから出てくる仮説も、さらに大きなものへと変化していきます。
奪われたお金はどこにいったのか?
この事件の目的は、本当にお金だけだったのか?
犯人の行方は?
現金強奪事件としては最大である3億円事件、事実は無数に挙がっていますが、真実については全く解き明かされていません。
真実を明らかにするため、未だこの事件を追い続けている方もいます。
ですが、もし真相が明かされたとき、そこには一体何が見えるのか?
本当のことが表沙汰になることで、見えてはいけないもの、知る必要のないことを目の当たりにするのかもしれません。
もしかすると、3億円事件の真実は、絶対に開けてはいけない『パンドラの箱』と言えるのかもしれませんね。
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