2002年3月6日。犯罪史上類を見ない凄惨な事件が、17歳の少女によって発覚することになった。
その事件は『北九州監禁殺人事件』。日本のみならず、主要先進各国にまでマインドコントロールの恐ろしさを実感させた、残忍極まりない凶悪事件であり、人間の精神の脆(もろ)さを再認識させられた事件でもある。
冒頭でも述べているように、この事件は当時17歳だった少女が、マインドコントロールの呪縛から逃げ出せたことによって発覚した、まさに『魔法のような奇跡』のドキュメンタリーと言っても過言ではない。
この事件を知れば、自分自身でマインドコントロールの呪縛を解くことは非常に困難であり、まさに『魔法に等しい』ということが納得できるはずである。
当記事では、そんな凄惨な事件の概要、そしてこの事件の本当の恐ろしさ等を記述していこうと思う。
■ 目次
- 8-1:松永太と緒方純子、そして純子の両親
- 8-2:純子の母親とも関係をもつ鬼畜さ
- 8-3:内縁関係のまま純子と二人で生活
- 10-1:松永によって狂い出す虎谷とA子の人生
- 10-2:通電と蹲踞(そんきょ)の姿勢
- 10-3:さらに残忍な虐待を受けていた虎谷
- 10-4:死亡した虎谷の遺体を溶かして処理
11:主婦監禁及び恐喝
12:緒方一家監禁及び殺人
- 12-1:純子とA子、緒方一家
- 12-2:緒方一家 崩壊へのプロローグ
- 12-3:『人たらし』としての本領を発揮
13:緒方一家 完全崩壊へ
14:その後の松永の行動
15:逮捕後、そして公判
16:終わりに
一家惨殺事件の最重要人物『松永太』とは
この犯罪史上稀に見る残虐な事件を起こした男、松永 太は1961年生まれ(事件当時36歳)。
一見、イケメンの好人物。実際に接しても低姿勢で人当たりが良く『このような凄惨な事件を起こすような男とは想像も出来ない』というのが松永太の最大の特徴である。
頭の回転が速く、非常に弁が立つ。
中学生の頃には、すでにその片鱗が見えており、中学1年生の時に校内の弁論大会で上級生を抑えて優勝してしまうという、ある意味、人が羨むような才能を持つ。
さらに驚きなのが、学生だけではなく、教師でさえも言い負かしてしまうほどの弁舌ぶり。
この才能は、大人になってからも健在であり、この記事でも後に記述するが、公判(刑事裁判)中に驚くべき現象を起こしている。
これだけの才能を持つ男である。道さえ踏み外すことがなければ、ビジネス界・芸能界・政界、どの世界でも大きな成功を収めることが可能だったかもしれない。
だが、この松永太という男の裏の顔、つまり本性の部分は、人の皮を被った怪物と言い表す他には、表現のしようがない。
金銭欲と支配欲が異常なほど強く、他人から奪った総額は、推定の域を出ないが約1億円近いと思われる。
そして、支配した相手は家畜・奴隷以下として扱い、自身のその行為にも全く心を痛めることがない残虐性を持つ。
相手の地位や肩書きなどは一切関係なく、ターゲットを自身の支配下にして、意のままにコントロールする。
これが、松永太という男の人物像である。
松永太の内縁の妻『緒方純子』とは
この事件の関係者の中で、松永を一番長く見てきたのが緒方純子であろう。
緒方純子は、高校時代に松永太と同級生だったのだが、当時は全くと言っていいほど付き合いというものは無かった。高校を卒業してから、2度ほど松永から誘われていたらしいが、2度とも断っていたという。
しかし、20歳のとき、3度目の誘いで二人は男女の仲になった(緒方純子にとって、松永は初めての相手だった)。
当時、松永は結婚していたので、緒方純子とは不倫関係だったが、純子は後ろめたさを感じつつも、だんだんと松永にのめり込み離れられなくなる。
この不倫時代から、緒方純子は松永から暴力をふるわれていたことが明らかになっている。
緒方純子の右胸にはタバコで焼印が、太ももの付け根には安全ピンと墨汁で刺青が、それぞれに『太』と強要して入れさせられていた。
このようなことが重なり、緒方純子は次第に松永太にマインドコントロールされていき、史上稀に見る犯罪へと加担していくことになる。
当該事件に使われた監禁現場
北九州監禁殺人事件は、長期間(1996年~1998年)に渡って行われた、猟奇的な惨殺事件である。
その犯行に使われた監禁現場は、北九州の小倉にあるマンション。
〒802-0064
北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華303号室
このマンションで、犯罪史上類を見ない凶悪な監禁殺人事件が起きたのである。
北九州監禁殺人事件の概要と相関図
先にも述べた通り、事件を起こした松永太という男は、人をコントロールする天才である。
この事件の一番の特異性は、事件を起こした当の本人である松永太は、自身の手を一切汚さず、周りの人間をコントロールして殺害させた、という点。しかも、コントロールされている側は、自分で決め自分で行動している、と思い込んでいる。
これが、今では誰もが知っている『マインドコントロール』というものである。
松永太は、監禁して拷問することによって、この一家全員を自身の支配下に置き、互いの不満を吐き出させて家族間に不信感を抱かせる。
さらに、家族同士で互いを拷問・虐待させることによって不信感を増幅させて、松永太自身への依存度を高めることで、誰も逆らうことができないようにコントロールしていった。
家の金がなくなると、知人や消費者金融などを回らせ現金を用立てさせる。
与える食事は1日に1食、インスタントラーメン若しくは茶碗飯一杯のみ、各々別の部屋に監禁し、トイレに行く回数まで制限し、意のままに一家を操っていたという。
そして、金が用意できないなど、松永にとって使い物にならなくなると、自身の手を汚さず、家族間で殺させた上、その死体処理までさせていたという残虐ぶり。
死体の処理方法については後述するが、事件のあまりの残虐性に、報道規制が敷かれた。
通常であれば、連日ワイドショーなどで報道され、毎週のように週刊誌に掲載されるはずだが、これだけの大事件にも関わらず、人々の記憶に薄い理由は、報道の規制があったという経緯からである。
当該事件の地裁判決文
北九州監禁殺人事件に対する、地裁が出した判決文(PDFファイル)。
福岡地方裁判所小倉支部第2刑事部
松永が使った拷問の手口の1つ”通電”とは
この事件で重要となるキーワードの1つに”通電”というものがある。
言葉通りに『電気を通す』という簡単な意味ではあるが、実際には言葉で表すほど生易しいものではない。
仕組みとしては、家庭用コンセントに繋いだコードの先を裸にして、ワニ口クリップを繋げたものを、乳首や性器に挟み電気を通すという、想像するだけで寒気がする手口である。
これをされると、身体が痙攣して、ショックが脳に直撃してしまうのだが、それ以前に、乳首や性器などの敏感な部位に直接電気を流されるので、その衝撃はまさに想像を超えるものだと言えるだろう。
これは、私たちがよく耳にする、護身用としても販売されているスタンガン。それと同等の効果があるというから、松永の残虐性が垣間見える拷問の手口だと表現できる。
当該事件発覚の経緯
冒頭でも述べた通り、2002年3月、当時17歳の少女(以下A子と表記)が、小倉北区にある監禁されていたマンションの一室から逃げ出し、祖父母の元へ駆け込み助けを求めた。
A子は祖父母に「お父さんが殺された!私もお父さんと一緒に監禁されていた!」と、必死に訴えかけたという。
驚いた祖父母が、A子と共に警察へ出向き状況を説明。
さらに、このA子は、右足の親指の爪が剥がれており、「ペンチを渡され、『自分で爪を剥がせ』と命令されて、その通りにした」と驚愕の事実を語る。
この証言を受け、警察はA子を保護。
一方で、祖父母宅には、宮崎と名乗る男からA子の養育費として500万円を要求する電話がかかってくる。
この時、祖父母宅を訪れていた刑事の指示で、要求どおり500万円の支払いに応じる旨を伝え、祖父母宅に宮崎を呼び寄せた。
宮崎と森と名乗る女が祖父母宅を訪れ、待ち構えていた刑事に、監禁傷害容疑で逮捕された。
祖父母宅に500万円を受け取りに来た宮崎という男は、この事件の主犯である松永太、そして森という女は緒方純子のことである。
この監禁傷害事件の発覚を機に、犯罪史上類を見ない、凄惨な猟奇的殺人事件の全貌が明るみとなる。
報道規制によって埋もれた残虐事件の詳細
さて、ここから松永太が起こした事件の全貌を記述していくことになるが、犯罪の立証において重要となる物的証拠がほとんど無い。
全ては当時17歳の少女(A子)、そして緒方純子の証言、そして状況証拠のみで明らかとなった事件の詳細である。
松永太と緒方純子、そして純子の両親
松永太は、1961年に畳屋を営んでいた家庭で生まれる。
商いを営む家庭ということで、経済的には比較的に裕福であり、松永は何不自由ない環境で育った。高校を卒業し、19歳のときに結婚。翌年20歳のときには子供も産まれている。
子供が生まれた後、松永は布団を販売する会社を設立。
ただし、事業の内容は『二束三文の価値しかない粗悪品の布団を高額で売りつける詐欺商法』で、売り上げ成績の悪い従業員に対しては、殴る蹴るなどの暴力で制裁していたという。
この辺りですでに、松永の凶暴性が現れていたと言えるだろう。
暴力は、このとき不倫関係にあった緒方純子にも及んでいたことは、前述した通りである。
純子の母親とも関係をもつ鬼畜さ
間もなく、緒方純子の両親が松永との不倫関係を知ることとなるが、当然の如く、両親は猛反対し松永と別れるよう純子を説得し始める。
これに対して松永は好青年を演じながら、『婚約確定書』という書面を純子の両親に提出して、婿養子になることを約束する。
この松永の行動により、それまで猛反対していた純子の両親は、一転して松永のことを気に入ってしまう。
(ここから緒方家の転落が始まったと言えるだろう)
さらに松永は、純子の母親である静美(当時44歳)を、言葉巧みにラブホテルに連れ込んで、半ばレイプのような形で肉体関係を結ぶ。
世間体を何よりも気にする緒方家の人間が、娘の婚約者と関係を持ってしまったことを世間に知られるわけにはいかない。
これにより、松永は緒方家に入り込むことに成功する。
内縁関係のまま純子と二人で生活
緒方家に入り込むことに成功したが、ここで純子が自殺騒動を起こしてしまう。
松永に暴力で支配されていることで、自己嫌悪に陥ってしまい、自ら命を絶とうとしたのだが、幸か不幸か、この自殺騒動は未遂に終わる。
この自殺未遂の後、松永は、純子と両親を引き離すために、純子と二人で生活を始めた。
この頃、純子は松永の会社(前述の粗悪品の布団を売りつける詐欺会社)を手伝わされていて、松永の命令により、純子の親族・友人・知人を詐欺商法に巻き込ませることで、人間関係を破綻させていく。
こうすることで、純子が松永に依存せざるを得なくなる状況を確立していった。
因みに、この頃に純子は、松永の妻と会っている。
(間もなく妻は松永から逃げ出す。1992年に離婚が成立している)
以前に交際していた女性に結婚詐欺
1992年、松永と純子は指名手配されることとなる。
松永の会社で、粗悪品の布団を高額で売りつけるために行った、脅迫・詐欺の容疑で指名手配され、二人は逃亡する。
逃亡生活により、とにかく金が無い状況を打破するために、松永は以前に交際していた子持ちの既婚女性に連絡をとり、結婚をほのめかして金を無心した。
いわゆる結婚詐欺を仕掛けることで、女性から金を引っ張っていたのである。
その後、松永はこの女性を離婚させ、女性の親や離婚した元夫から養育費を送らせて、金を貢がせていたという。
この女性は後に別府湾に飛び込んで自殺してしまう。この女性の子供も不審な死を遂げていた。
女性が本当に自殺だったのか、子供が死亡した原因は何だったのか、これらは謎のままである。
(松永の犯行説もあったが、これが立件されることはなかった)
虎谷久美雄と松永太との出会い
1993年、松永と純子の間に男児が誕生し、3人で小倉に移住する。
小倉で住居を探すために、とある不動産屋に赴いたときに、担当となった虎谷久美雄(34)と出会う。
この虎谷久美雄という男は、当該事件が発覚したきっかけとなる、当時17歳の少女 A子 の父親なのである。
松永と出会った当時、虎谷はA子と内縁の妻との3人家族。
松永は、競馬予想のビジネスで成功している人物を演じ、虎谷にもビジネスに加わるよう話を持ちかけて近づき親しくなっていく。
松永と親しくなった虎谷は、付き合いが深くなるにつれ、生活が荒んでいき、内縁の妻と別居することになってしまう。
松永によって狂い出す虎谷とA子の人生
当時、まだ幼かったA子は虎谷が引き取った。
松永は、「男手一つで女の子を育てるのは大変だろう。A子はこっちで面倒を見てやる」と持ちかけ、虎谷はこれを受け入れてしまう。
(当然のことだが、A子の面倒を見るのは有料であり、虎谷はこれを含めて受け入れている)
前述しているが、松永はとにかく人当たりが良く、相手を持ち上げることに非常に長けている。
虎谷を持ち上げることで気分を良くさせ、過去に小額ではあるが会社の金を着服したことを聞き出し、松永はこれを執拗に攻め立てていく。
さらに、「父親から性的ないたずらをされ続けてきた」とA子に嘘の証言をさせ、この事実を認める証明として『事実関係証明書』というものを虎谷に書かせた。
この証明書や過去の着服などで弱みを握られることとなった虎谷は、松永達と同居することになり、奴隷状態として生活することとなる。
虎谷は、毎日のように虐待を受けながら、知り合いや消費者金融などから借金をさせられ、その金を松永へ貢いでいくことになってしまう。
通電と蹲踞(そんきょ)の姿勢
虎谷の受けていた虐待は、松永の事件のキーワードともなる”通電”を主としたものだった。
”通電”とは、前述したとおり、裸にした電気コードの先にワニ口クリップを繋ぎ、乳首や性器、或いは顔面に挟み、『蹲踞(そんきょ)の姿勢』をとらせて電気を通すのである。
因みに、蹲踞(そんきょ)の姿勢とは、剣道や相撲の立ち合い前の姿勢のこと(下記画像を参照)。
裸でこの姿勢のまま通電されるのだが、もし姿勢を崩したり倒れたりすると、罰としてもう1度通電される。
ただでさえ、スタンガンと同等の効果があるこの方法、しかも乳首や性器といった敏感な部位に電気を通されるので、姿勢を崩さないなど不可能と言える。
しかも松永は、通電されて もがく様を見て、それを肴に酒を飲みながら大笑いしていたという。
さらに残忍な虐待を受けていた虎谷
虎谷への虐待はこれだけでは終わらない。
- 蹲踞(そんきょ)の姿勢のまま長時間過ごさせる
- 真冬にシャツ1枚で過ごさせる
- 玄関を寝床にさせ、スノコで囲った檻の中で体育座りのまま寝かせる
- 浴室の湯船の中で立ったまま寝かせる
通電以外には、上記のような虐待を繰り返して行っていた。
さらに食事に関しても、1日1~2回、基本的には茶碗飯と生卵のみで、それを蹲踞(そんきょ)の姿勢のまま食べさせる。
10分以内に食べ終わらないと、罰として通電する。
季節を問わず、お湯のシャワーは禁止。
トイレの使用も制限されていて、小便はペットボトルにさせる、大便は1日1回のみ(時間制限あり)で、もし漏らしたりすると、それを食わせる。
当時、小学5年生だったA子に命令し、歯型が残るほど父親を思い切り噛み付かせた。
(A子も虐待を受けていたが、学校には通っていたという)
死亡した虎谷の遺体を溶かして処理
虐待による精神的・肉体的な締め付け、そして満足な食事も摂れない日々が続き、虎谷は衰弱していった。
さらに、どんどん言動がおかしくなっていき、1996年2月、とうとう死亡してしまう。
松永は、虎谷が死亡した責任を、あろうことか、まだ子供であるA子になすりつける。
「お前が父親につけた歯型のせいで、お父さんを病院に連れて行くことができなかった。もし病院に連れて行ったら、歯型からお前が殺したことがすぐにバレて、警察に捕まってたんだぞ」とA子を脅した。
そして、A子に『事実証明書』を書かせる。
内容は、「私は殺意を持って実父を殺してしまったことを証明します」というもので、この証明書によって、A子は松永の言いなりとなってしまう。
松永は、A子と純子に、虎谷の死体処理をするよう命じる。
まずはノコギリ等を使って遺体を解体し、内蔵などはミキサーでドロドロの液状にして、公衆トイレや川などに流す。
肉や骨などは、鍋で煮込んで液状化し、海中などに投棄した。
松永は、遺体処理前にA子と純子を巧みに誘導して、あくまでも二人で考えて、二人で実行したこととしている。
つまり遺体処理に関して、「お前たちが、二人で決めてやったことだ。俺は警察に届けようと思っていた」などと言って、虎谷の遺体遺棄を二人の責任としていた。
(因みに、この遺体処理の直後、純子は2人目の子供を出産している)
こうして、A子の父親である虎谷久美雄は、文字通り一切の痕跡無く処理されてしまった。
主婦監禁及び恐喝
虎谷の死後、次の金ヅルが必要となった松永は、虎谷の友人の妻であるB子に狙いを定める。
松永は、京都大学卒のエリートで、コンピュータビジネスで成功している実業家を演じ、B子に近づいていった。
言葉巧みに誘惑して、B子が松永に夢中になると、結婚を約束することで、夫と離婚させる。
離婚後、B子に金を貢がせていた松永は、やがてB子とアパートを借りて一緒に住むようになる。
そのときに引き取ったB子の次女を人質にすることで、B子を支配下に置き、虎谷と同じく虐待を始めるようになる。
しかし間もなく、B子は松永の元から逃げ出すことによって、殺されるという最悪の事態を避けることができた。
松永は、同居していたアパートを引き払い、預かっていたB子の次女は、B子の前夫の家の玄関前に置き去りにしている。
緒方一家監禁及び殺人
さて、いよいよ松永が起こした最も残忍で冷酷な事件の記述に入っていくことになる。
前述したように、松永が起こした事件に関する物的証拠はほぼゼロであり、全ては事件関係者(生き残った者)の証言、いわゆる状況証拠によって明らかになった事実である。
純子とA子、緒方一家
B子が逃走したことによって、また金ヅルを失った松永は、純子に金の工面をするよう命じる。
純子は、なんとかお金を工面するために、母親やその他親戚などに頼んでみるが全て断られてしまう。
お金を工面できなければ、虐待されてしまうと恐れた純子は、自分で働いて稼ぐことに決め、次男を親戚に預けて湯布院のスナックで働きだした。
(長男の世話はA子がしていた)
スナックに働きに出た純子を、逃げ出したと勘違いした松永は、まず緒方家に接触する。
過去に犯した殺人などの犯罪を緒方一家に話し、その犯罪は全て純子が計画して実行した、という風に事実を捻じ曲げて吹き込んだ。
この松永の話を全て信じきってしまった緒方一家は、純子が犯罪を犯したという負い目から、松永が計画した芝居に加担することになる。
その芝居とは以下のようなものである。
母親の静美が「松永が自殺した」と嘘を言って、純子を北九州に呼び戻す。
純子が北九州のマンションに着くと、松永の葬儀が営まれている最中だった。
部屋の中には松永の遺影が飾られ、線香が焚かれていた。
純子が、自殺した松永の遺書を読んでいたところ、突然押入れが開き松永が飛び出してきた。
「残念だったな!」松永はそう叫び純子に殴りかかった。
周りにいた緒方一家は、純子に殴りかかる松永を抑えるのに必死だったという。
こうして松永に捕らえられた純子は、この日から激しい虐待を受ける日々を送ることになる。
この頃、中学生となっていたA子と純子の立場を逆転させて、純子は最下層の立場となってしまう。
毎日、A子に純子の様子を見張らせ、逐一、松永への報告を義務付けた。
この報告の内容次第で、純子は通電などの虐待を受けており、ほぼ虎谷と同じような扱いを受けていたという。
あまりの辛さに、純子は逃亡を図るが、監視役になっているA子に捕まってしまい、逃亡は未遂に終わる。
逃亡を企てたことにより、純子はさらに激しい虐待を受けることになり、気力も失せてしまい、完全に松永に支配される結果となってしまった。
緒方一家 崩壊へのプロローグ
松永が純子を呼び寄せるために企てた『偽葬儀』以後、緒方家の父:譽(61)、母:静美(58)、妹:理恵子(33)は、身内である純子が殺人まで犯しているという負い目から、完全に松永の言いなりとなる。
この頃、松永は純子を利用して、数千万円もの金銭を緒方家から貢がせている。
松永が描いた絵は以下のようなものだった。
松永は当初、純子と別れると告げていたのだが、子供は松永が引き取るとの条件を出していた。
それを聞いた純子は、子ども可愛さに「松永とは別れない」という意思を示した。
しかしこの意思表示は、松永が純子をマインドコントロールして言わせたことである。
松永は緒方一家に対して、純子の想いを受け止める代わりに、純子の逃がすための資金を要求する。
これに同意した緒方一家は1千数百万を松永に払い、さらに家を抵当に入れ3000万円を農協から借り入れ、それも全額松永に渡した。
さらにマンションの配管工事をさせ、虎谷氏殺害の証拠隠滅に家族も加担させることで逃げ道を無くした。
このような話し合いなどは全て、松永のマンションで行われていた。
最初、松永のマンションに通っていたのは、譽・静美・理恵子の3人だけだったが、その後、理恵子の夫である主也(38)も加わることとなる。
主也は、緒方家の婿養子であり、非常に温厚で大人しい性格だったという。
『人たらし』としての本領を発揮
ここで松永は、主也を緒方家の大黒柱として大いに持ち上げることで、主也からの信頼を得る。
松永は、主也と連日酒を飲みながら、以下のようなことを吹き込んでいった。
- 未だに土地名義を主也にしていないのは、婿養子だから馬鹿にしているからだ
- 理恵子はかつて、不倫の挙句に妊娠・中絶の過去がある
松永は、このようなことを連日吹き込んでいたので、主也の一家への不信感は拭えないものとなっていった。
主也の緒方家への不信感は日に日に大きくなっており、義父である譽や、妻の理恵子に対して殴る蹴るなどの暴力をふるうようになった。
一方で松永は、主也の些細な間違いなどを取り上げて、主也に対して責め立てる部分を見せ、緒方一家に中立の立場を演じて、双方の信頼を得ることを怠らなかった。
松永の手口は非常に巧妙で、緒方一家が互いに不信感を抱くように立ち回り、家族の気持ちをバラバラにしていく。
これによって、一家が結託して松永に対抗することを未然に防いで、自らが頂点に立つ。
そして、家族それぞれから巧みに聞き出した各々の秘密や弱みを利用して、執拗に責め立てることで罪悪感を植えつける。
さらに、その内容を書面にして残すことで、それを心理的に拘束する道具にして、支配力を強めていくのである。
やがて、松永のマンションに通っていた理恵子・主也は、子供の彩(10)と優貴(5)と共に、小倉にある松永のマンションに同居することになる。
この頃から緒方家の親戚は、様子のおかしい緒方一家を心配し、「松永という男に騙されているぞ」と、譽や静美に忠告する。
しかし、すでに松永にコントロールされていた一家は、そんな親戚たちの助言を聞き入れることもなかった。
聞き入れるどころか、田んぼまで抵当に入れて、松永に金を貢いでいった。
(この頃すでに、松永に貢いだ金は総額で6,300万円を超えていたという)
親戚たちは、警察に情報を提供して、なんとか一家の目を覚まさせようと対応していたのだが、ついに譽や静美までが自宅のある久留米から完全に行方をくらましてしまう。
緒方一家 完全崩壊へ
緒方一家が完全に松永のマンションに移った頃から、虎谷にした虐待と同じように、一家への虐待が行われ始めた。
行動の自由は完全に奪われていた。
- 食事は1日2食でメニューはカップラーメン等のみ
- トイレは誰かの監視の下で1日1回、大便のみ使用
- 小便はペットボトルで済ませる
- 睡眠は、リビングで布団の使用も許されず雑魚寝
そして、松永が行う虐待の代名詞とも言える通電も、当然行われていた。
通電を受けるのは、松永がランク付けした順位が最下位の者というルールが設けられており、その順位は常に変動していた。
皆が通電を避けるため、松永の歓心を買おうと、家族の秘密などを告げ口して、自分の順位を上げることに必死になっていたという。
言うまでも無く、家族の絆は目に見えるように崩れていった……。
譽・静美 監禁殺害
1997年12月、ついに緒方一家で最初の被害者である、父:譽が死亡する。
原因は純子が行った通電によるショック死であるが、言うまでもなく、通電を指示したのは松永である。
松永は、一家で話し合いをさせて、譽の遺体を処理するように誘導していった。
譽の遺体処理には、譽の孫である幼い彩にも手伝わせており、松永の残虐性を浮き彫りにしている。
譽の死後、通電のターゲットは静美に集中していった。
通電が静美に集中したこともあってか、静美は「あー」「うー」などと奇声を発するようになっていき、浴室に閉じ込めたのだが、松永はすでに静美を殺すことに決めていた。
例の如く、松永は一家で話し合いをさせ、静美を殺すように誘導していく。
1998年1月、浴室にて静美を殺害。
理恵子が静美の足を押さえ、主也がコードで静美の首を絞めて殺してしまう。
そして譽と同じく、一家に静美の遺体を解体させて処理した。
静美の遺体処理後、松永はマンションをもう1部屋用意して、一家を分散して住ませる。
- マンションA : 松永・純子と子供二人、そして理恵子と彩
- マンションB : A子と主也と優貴
住まいを分散する理由は、結託して松永への反逆を抑えること、そしてそれぞれに子供がいることで逃亡を阻止するためである。
理恵子を監禁殺害
静美の死後、虐待のターゲットは理恵子に集中していった。
通電するのは当然のこと、髪の毛を滅茶苦茶に切り落としたり、全裸で乳首にガムテープを貼っただけという姿のままで生活させたりした。
毎日の通電が原因となったのか、理恵子は耳が遠くなっていき、松永が指示を出しても、何度も聞き返すような状態となった。
そんな理恵子を見て、松永は「コイツは頭がおかしくなったんじゃないのか」と言い、理恵子を除いて、一家に話し合いの場を持たせた。
話し合いをさせる目的はもちろん、理恵子を一家に殺害させることである。
1998年2月、静美と同じく、浴室に閉じ込めていた理恵子を殺害するのだが、実行するのは夫である主也と娘の彩だった。
娘の彩が理恵子の足を押さえ、主也が電気コードで首を絞める。
「かずちゃん、私死ぬと?」
「理恵子、すまんな……」
殺害の直前、理恵子と主也が交わした最後の会話である。
理恵子の殺害後、主也は「とうとう、自分の嫁まで殺してしまった……」と言って泣き崩れたという。
遺体は、これまでと同様、バラバラに解体し液状にして処理した。
主也を監禁殺害
次に虐待のターゲットにされたのは、理恵子を殺害した主也へと移っていった。
性器への通電が多かったため、主也の男性器は水脹れになっており、見るも無残な状態だったという。
与えられる食事は、ラードを塗った食パンが1日に2~3枚ほど。
当然のことながら、主也は日に日に痩せ細っていき、体調も悪化していく。
下痢や嘔吐を繰り返し、目に見えて衰弱していく主也に、さらに漏らした下痢便を食わせたりもしていたという。
1998年4月、松永は、浴室に閉じ込めていた主也にビールを飲ませる。
激しい衰弱によって最悪の体調となっていたところに、ビールを飲み干してしまったことによって、主也は息を引き取ってしまった。
主也の遺体も、これまでと同様に、解体して液状化することによって処分されている。
優貴・彩 監禁殺害
主也の死後、残った緒方家の人間は、純子・彩・優貴の3人だけとなった。
理恵子と主也が死んだ今となっては、松永にとって彩と優貴は、邪魔以外の何者でもない存在となっていた。
純子が、「彩と優貴を主也の実家に帰してほしい」と松永に頼み込むが、その願いは却下され、逆に優貴の殺害を決意させられた。
松永は彩を呼び出して問いかける。
「お父さんもお母さんもいない。これからどうする?」
「誰にも何も言わない。弟にも何もしゃべらせない。だから帰らせてください」
「もしも弟が警察に話したら、彩ちゃんも犯罪をしてるし逃げられない。警察に捕まっちゃうよ」
このように彩を追い込んでいき、優貴の殺害を同意させた。
1998年5月、純子・彩・A子の3人で優貴を殺害する。
殺害方法は、台所に優貴を横たわらせ、A子が足を押さえ、純子と彩が電気コードで左右から引っ張り、優貴の首を絞めて殺した。
優貴を殺す直前、彩は「お母さんのところに連れて行ってあげるね」と言ったという。
A子が実質的に殺害に加わったのは、このときが初めてだった。
優貴の死後、通電は連日にわたって彩に行われる。
「これまでのことを誰かに告げ口するつもりだろう?」
「絶対に誰にも何も言いません」
通電しながら松永は、このように彩を責め立て、彩は何も言わないと訴え続けたという。
(まだ幼い彩の局部へも通電が行われていた)
そんな訴えにも関わらず、とうとう彩は殺害されることとなる。
1998年6月。
松永は、「あいつは口を割りそうだ。やっぱり処分せんといかん」と言い、純子とA子に彩を殺害するよう誘導する。
純子とA子が電気コードを持って、浴室に閉じ込めている彩の元へ向かう。
目の前に来た純子とA子を見て、彩は全てを察したかのように、無言で自ら台所へ向かって歩いていき、弟が死んだ場所に横たわった。
純子たちが電気コードを首に通そうとすると、彩は全く抵抗することなく、自分で首を持ち上げたという。
そして、純子とA子は左右から電気コードを引っ張り、彩を絞殺した後、遺体を解体・液状化して処分した。
「お前が湯布院に逃げたりしたから家族全員を殺すことになったんだ」
これは、彩の遺体処理後、松永が純子に言い放ったセリフである。
彩が死んだことによって、緒方一家は、純子を除く全員が『消滅』したのである……。
その後の松永の行動
緒方一家が消滅した後、松永は主婦のC子を結婚詐欺で騙して金を貢がせている。
C子を離婚させ、子供を預かり、子供の養育費としてC子を風俗店で働かせて金を工面させていた。
しかし理由は分からないが、松永はC子に対して通電などの虐待は行っていなかったという。
一方、A子は、C子の子供の世話をさせられていた。
松永からの虐待、そして、緒方一家の殺害や解体処理に加わっていたこと、これらが足枷になり、A子は松永の支配から逃れることができなかった。
逮捕後、そして公判
当記事の冒頭でも述べたように、A子の逃亡によって事件が発覚し、松永太・緒方純子の逮捕へと至る。
逮捕後、松永と純子は、しばらくの間、警察の取調べに対して共に黙秘を続けていたが、その後は「A子には虚言壁がある」と言って、監禁などの容疑を否認していた。
しかし、やがて純子のマインドコントロールが解けていき、A子の証言から事実が明らかになると、純子は容疑を認め始めていった。
一方の松永はというと、監禁や死体損壊などは認めるものの、緒方一家の殺害については、純子たちが勝手にしたことで、自分は何も関与していない、と殺人の容疑については否認を続けていた。
さらに、通電に関しては、「教育の一環として行っただけ」と、あくまでも原因は緒方一家にあると主張。
遺体がない、という殺人事件ということもあり、捜査は非常に難航を極めたのだが、福岡県警と検察は、虎谷久美雄・緒方一家の殺害で起訴に持ち込む。
公判では、松永は起訴内容を否認したが、純子は起訴内容を全面的に認めた。
2005年9月
(緒方 譽に関しては傷害致死という判決)
2007年9月
2011年12月
終わりに
以上が、北九州監禁殺人事件の全貌となる。
この事件で、司法が下した判決は妥当ではなかろうか、と思える。
その『妥当』と思える部分は、緒方純子に対して下した『無期懲役』という判決である。
高等裁判所が「緒方純子は、マインドコントロール下に置かれて犯した犯罪であり」という部分は、正しい判断ではなかろうか。
これは、人によって意見が分かれるかと思う。
しかし、マインドコントロールというのは、私たちが思っている以上に恐ろしいものだということ、人間の意志というのは想像以上に脆いものだということを、この事件は改めて私たちに思い知らせたと言える。
繰り返して述べるが、この事件はフィクションの世界での物語ではない。
マンガでもなく、小説でもなく、ゲームでもない、紛れも無く現実の世界で起こったノンフィクションである。
フィクションの世界であれば、「すごい物語だが、人間がそんな簡単にコントロールされるものか?」「現実には有り得ない」といった感想を述べることは簡単である。
しかし実際に、現実に有り得て、人間が簡単にコントロールされてしまったのである。
松永のマインドコントロール技術の凄さは、裁判所も認めていた。
通常であれば、弁護士は被告人に接見して、今後の裁判の進め方を打ち合わせしたりするのだが、裁判所は松永に対しての弁護士の接見を禁止した。
理由は、弁護士が松永にコントロールされる恐れがある、ということであった。
公判中でも、その才能は発揮されたいた。
証言台に立った松永が証言すると、これだけの凄惨な事件に関する公判でありながら、傍聴席からドッと笑いが出る現象が起きていた。
さながら、松永太の独演会、とも思えるような現象だったという。
まさに、『天才的ペテン師』『人の皮を被ったモンスター』と呼ぶにふさわしい。
前述どおり、松永太は死刑が確定している。
だが、果たして、松永の死刑が執行される日は訪れるのだろうか、という疑問が頭を離れない。
当該事件は、遺体の無い殺人事件である。
物的証拠がない状態で確定した死刑なので、この死刑を執行する判断ができる法務大臣が、この先現れるのかどうか、甚だ疑問を感じてしまう。
そして、私たちがこの事件から感じなければならないこと。
それは、松永太のような人間が、もしかすると自分のすぐ間近にいるかもしれない、ということである。
『人を見たら疑え』と言われるような世の中になっている昨今、どこに罠が張られているか誰にも分からない。
人当たりが良く、腰の低い人を見たら、全面的に信用するのではなく、疑いの目を持って接していく必要がある、と言えるのではなかろうか。
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